若い人に任せる勇気
強みと特別をもっと外に、エスモットです。
心配事の9割は起きない 第2段
毎日読んでます、この本。
昼休み中に視力回復トレーニングをしながら、数ページずつ読むので、進みは遅いのですが、しっかりと読めている感じします。
なによりも、リラックスしながら読めるので、休憩効果が以前よりも大きい気がします。
禅の教えでは、閑古錐という言葉があるようです。
閑古鳥の閑古の言葉通り、暇になった、錐を意味しています。
新しい錐は鋭く、穴をあけるのに適しているのに対し、使い倒して、丸くなってしまった錐は素早く穴をあけることができません。
しかし、丸くなった分だけ人を傷つけることなく、その形から経験や貫禄を覚えざるをえません。
むしろ、丸ければ丸いほど、幾多の穴をあけ続けた頼りがいも感じられます。
若い時の様な鋭さや勢いがなくても、いざという時に知恵や知識を伝える。そのような存在が若い世代には必要なのかもしれませんね。
しかし、今まで実践一番、現場第一で経験を積んできた人にとって、若い人に任せるのはとても勇気のいつことだと思います。
自分で動いて、発言すれば、直ぐに終わる案件も若い人に頼むと、どうも自分のやり方と違う……。そう思って、「違う違う、そうじゃない……これは……」こんな経験ないでしょうか?
私はあります。両方の立場で。さらに、毎回する、されると、(じゃあ、自分ですればいいのに……)と思いますよね。
これでは円滑なコミュニケーションは取れているでしょうか?
若い人のやり方が遠回りでも、自分と違っていてもゴールが同じであれば許容する。寛容な心をもって、草葉の陰からみるのも役目だと感じます。
心配になると、ついつい口が出てしまう。そこを、ぐっと我慢することは我慢するほど、若い世代が成長していると思うと、やりがいもありますね。